私が定年を向かえる5年前に赤坂にあった「キャピタル東急ホテル」で森繁久彌が葬儀委員長、永六輔がプロデュース・総合司会して生前葬と再出発の誕生会を行った。再出発の誕生会は欽ちゃんの司会で盛り上がっていた。
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水の江瀧子の死(5)
水の江瀧子の死(4)
彼女は戦時中は内外の兵士を慰問して勇気付け、戦後の荒廃した日本では国民のアイドルとして、またアメリカや諸外国の親善大使として大活躍をしていたから何度か国民栄誉賞にもノミネートされたけれど、甥三浦和義のロス疑惑でいつも”没”になってしまっていた。
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水の江瀧子の死(3)
在りし日のターキー
異性についてはマネージャーとのうわさ、求婚者が第二次世界大戦で戦死したなどがあって終生、独身を通していた。でも私がお会いした彼女が70歳の頃でも顔は小さく艶があり、笑うとトレードマークの”えくぼ”が可愛らしかった。彼女は自分のことを「わたし」と云うが云えなくてテレビなどでも「わちし」と云っていたけれど、私が話しているときも「わちし」で可愛いおばあさんだった記憶がある。
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| [誕生日のスナップ] | [自宅の庭で] |
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| ターキーと妻 | ターキーと娘と息子 |
異性についてはマネージャーとのうわさ、求婚者が第二次世界大戦で戦死したなどがあって終生、独身を通していた。でも私がお会いした彼女が70歳の頃でも顔は小さく艶があり、笑うとトレードマークの”えくぼ”が可愛らしかった。彼女は自分のことを「わたし」と云うが云えなくてテレビなどでも「わちし」と云っていたけれど、私が話しているときも「わちし」で可愛いおばあさんだった記憶がある。
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水の江瀧子の死(2)
彼女は北海道の小樽出身で、昭和3年松竹少女歌劇団に第1期生として入団。男装姿が人気になり「男装の麗人」の異名をとっいてたことは有名な話だけれど、彼女の人生は”波乱万丈”だった。昭和初期に当時なかった日産自動車の「キャンペーンガール」になったり、18歳の時、松竹少女歌劇部で争議が起きたときには、争議委員長になって、少女部員230名が湯河原に立てこもり「桃色争議」と呼ばれたりもした。
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水の江瀧子の死(1)
突然だけれど遅ればせながら水の江瀧子さんの情報が入ったので、割り込んで書きたいと思います。
今年は有名人の死が相次いでいるような気がする。最近では森繁久弥さんが96歳で逝った。
南田洋子さんや三遊亭円楽、田英夫氏たちは戦後の荒んだ日本をいろいろな意味で活性化させてくれた人達で、命あるものは必ず1回は死ななければならないけれど残念なことである。
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今年は有名人の死が相次いでいるような気がする。最近では森繁久弥さんが96歳で逝った。
南田洋子さんや三遊亭円楽、田英夫氏たちは戦後の荒んだ日本をいろいろな意味で活性化させてくれた人達で、命あるものは必ず1回は死ななければならないけれど残念なことである。
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CTスキャンの結果(1)
11月の通院日が来た。この日は必ず行う血液検査とCTスキャンの結果が出る日で、腫瘍の大きさが少しでも小さくなってはいないかという期待と、もし大きくなっていたら手術が出来ないので薬でしか治療が出来ない私はどうすれば良いのか、という不安でKG病院へ向かった。担当の長井医師やNG病院の”デコ助”土肥医師は薬の服用しか治療の方法はないと云うけれど、私はTVやネットで見る限り放射線治療やカテーテルを使用した治療方法もあるのではないかという疑問を持ち続けているので、もしS薬服用の結果が悪ければ大阪のGISTの権威がいる病院へ行ってセカンドオピニオンを受けてみようかなどとも思いながら通院した。
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服用期間のスタート
NG病院から見放されてKG病院へ”出戻っ”て3回目のS薬服用の日が来た。2週間の休薬期間でやっと身体が正常−とは云っても倦怠感、フラツキ、動悸、震えなどは程度に差こそあれ、無くなった訳ではないが−に戻りつつあったのだけれど、又4週間の服用期間になってしまった。この服用が始まると又目頭が”お岩さん”になってしまうのではないだろうか、と心配である。大学に通っているのでどうしてもいろいろな人達と会わなければならず、顔が”お岩さん”になると、その理由を説明するのが面倒くさい。聞いてくる人は一応私を心配してくれているのだから、むげに”無視する”訳にもいかないので困る。片目だけが”お岩さん”になるのであれば眼帯をすれば良いのだが、両目が”お岩さん”になるのだから始末が悪い。その上鬱陶しさがひどくなって思考力がなくなってしまうので、何のために通っているのか判らなくなる。情けないことだ。
事業仕分け
鳩山総理の民主党政権になって当然のことではあるけれど、運営面で初めてのことが多いが「事業仕分け」もその一つである。一般の会社に置き換えてみると、事業が苦しくなった会社が不採算部門の立て直しや予算の見直しを行うことであろう。その場合、経営陣が不採算部門の重役や関係者からヒヤリングを受けて今後の方向付けをすることと似ている。いつの世の中でもそうであるが、”改善”と称する軌道修正をするにはいろいろな”痛み”が伴うし、物凄い抵抗に遭うことが多い。
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歯医者
年賀状の季節
又年賀状を書く時期がやってきた。私が現役の頃は約300枚の年賀状を毛筆で書いていたし、女房用の宛名書きも1000枚以上書いていたので、毎日数時間は宛名書きをさせられていた。毛筆はペン書きに比べて”筆圧”が殆どいらないから一枚約1分で書いていた。それでも1000数百枚を書き上げるのは大変で、毎日帰宅すると机に向かって数時間中指に”タコ”ができるような感覚になるまで書いていた。それほど書いていたので我流ではあるけれど毛筆の練習は人一倍したと思う。
今年は病気のこともあって、殆ど書く気持ちもないし、いろいろな”無料メール”を利用すれば大晦日に発信しても良いからせいぜい20枚程度しか書かないだろう。郵便局や駅周辺では今年も”年賀はがきの大売出し”をやっているけれど、若者は携帯電話でのやり取りが多いだろうし、年寄りは私のような人間も増えているだろうから、年賀状だけを考えても”時代が変わった”のだろう。
今年は病気のこともあって、殆ど書く気持ちもないし、いろいろな”無料メール”を利用すれば大晦日に発信しても良いからせいぜい20枚程度しか書かないだろう。郵便局や駅周辺では今年も”年賀はがきの大売出し”をやっているけれど、若者は携帯電話でのやり取りが多いだろうし、年寄りは私のような人間も増えているだろうから、年賀状だけを考えても”時代が変わった”のだろう。
里芋
昨日藤野から里芋が届いた。私は里芋の”ネバネバ”に何か抵抗感があって今まであまり食べたことはなかったが、届けられた里芋はとても立派な芋だった。彼からのメールを読んでいると、彼はもしかしたら私より身体に”ガタ”がきているのではないかと思うほどで、自分が趣味でやっている”菜園”は止めたのではないかと思っていたのだけれど、送られた里芋の出来栄えを見て、”こんな立派なものが出来るほど菜園の手入れをしているのなら、彼の身体は大丈夫だろう”と思った。
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OB会
11月に入って毎年行われている”定年者”のOB会の月になった。私はそのOB会の会長だけれど、2年前から「闘病のため会長は出来ないので、辞退したい」ということを云ったが受け入れられなかった。定年は60歳になるとその時の役職に関係なくやってくるが、私が現役だった時は営業、技術、品質、総務、購買、生産と生産・販売会社の殆ど全ての部署を経験していたので、OBの人達とはホワイトからブルーまで親しく話すことが出来ることもあって”会長”に祭り上げられたのだけれど、「お前がそんな大病をしているとは考えられない」という勝手な理由をつけられて”会長”を降ろしてくれなかったのである。
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今上天皇即位20周年
11月12日今上天皇の即位20周年記念式典をTVで見て、昔のことを思い出した。私が育った頃は昭和天皇の時代だったが、小学校では1年のとき毎朝朝礼で校長が「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・・・・」という教育勅語を朗読し意味が判らなかったこと、終戦時はラジオの前に一家全員が一列横隊で直立不動の姿勢で”玉音放送”を聴き、大人たちが涙を流していたこと、昭和64年の1月に崩御されたこと、今上天皇は始めて民間から”美智子さま”と結婚されたことなどが浮かび、その時々の私の70年間が重ねあって思い出された。1年生のときは10組まであり、教室が足りなくて”二部授業”といって5組までは午前中、6組以降は午後登校して教科書は二人で1冊、崩御されたときは寒い長野の飯田に単身赴任していて暖房が効いていない社宅に帰り、近くの居酒屋で飲み明かしていた。こんなことを思いながら我が人生を振り返ってみると”あっ”という間の人生で今病魔と闘っている(?)自分はこれで良いのか、などと思われて何か侘しい気持ちにさせられた。
休薬
このブログでも何度か書いたと思うけれど今服用しているS薬は身体に与えるダメージが大きいためか4週間服用したら2週間休薬することになっている。GISTの場合通常50mmg/1日服用するが、私は副作用が激しいので医師の了解の下で37.5mmg/日の服用にしている。
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女子ゴルフ
女子プロの宮里藍がもしかするとアメリカでの”賞金女王”になるかもしれないという報道があって驚いた。ここ数年彼女のニュースはあまり聞かなかったけれどアメリカでは地道な努力をしているらしい。昔、樋口久子がアメリカでメジャーに勝ったということがニュースで大々的に報道されたことがあったが、彼女は日本では敵を知らない快進撃を続けていた時代で、それでもアメリカに行くと成績は芳しくなかった。その後岡本綾子が賞金女王になって日本のゴルフを世界に通用するスポーツとしてアピールした。そういえば第一回カナダカップは中村寅と小針が、第一回世界女子では宮里と北田がそれぞれ優勝したし、今では世界のビックプレイヤーが日本でプレーしたり、アメリカの正式ツアーも日本で行われるようになった。中には国内では”敵なし”のプレイヤーが外国に行くと全く勝てない選手もいたけれど、スポーツで良い成績を挙げたニュースを聞くと心が癒されるものである。
ベルリンの壁
現在のドイツは一つの国だけれど、私が世界史を勉強していた頃は東西ドイツに分かれていて東ドイツはソ連と同じように”恐い国”のイメージが強かった。サラリーマンになって1973年にドイツに出張したことがあるが、当然西ドイツのデュッセルドルフ、ハンブルグ、ミュンヘンしか行っていないし行く気持ちもなかった。ドイツ人とは毎晩飲み屋に行ったけれど、驚いたことに彼らは「第二次世界大戦での”ツケ”が残っていてその清算に苦労している」ということを口々に云っていたことである。
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駅伝シーズン
今年も駅伝やマラソンのシーズンが来た。TVでは毎週○○駅伝が放映されている。全日本学生駅伝でS大学は14位に終わってしまった。出場選手の殆どが寮生活をしており、この時期になると朝の5時ころから近くのロードで練習をしている。箱根駅伝はシード権を得られず、10月に開かれた予選会に何とか勝ち抜いたので来年も出ることが出来るが、この選手達が出場したにもかかわらず14位という成績は情けない。それも”大ブレーキ”があったのならともかく第一区から低位安定で終わってしまった。私はTVで応援しているだけだけれど、毎日選手達とは会っているし、それなりの練習をしているのでもう少し頑張って欲しい気持ちだった。ただ、帰ってきた選手達は翌日から”箱根の本番”に向けて走り出しているので来年の箱根は少なくてもシード権が取れるように頑張って欲しい。
血液検査
通院日は必ず診察前に血液検査をして、その結果から体調やGISTの状況を判断されており、私の場合血液検査はその日の診察内容によって25〜35項目行っている。CK(クレアチンキナーゼ)もその一つであるが、今回の検査でCKの値が正常の範囲を2.5倍増加していた。これは初めてのことで長井医師も注意が必要だ、と云っている。ただ「先生、注意と云ってもなにをすれば良いのですか」と云うと「動悸がひどかったり、筋肉痛や脱力感などがひどくなったりしたら連絡下さい」ということだった。
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秋の大学祭
今年も10月31日から恒例の大学祭が始まった。その1日前S大学は創立130周年を迎えホテルニューオータニで祝賀会が行われた。130周年というと明治12年で当時の大学は、国立の大学では東京大学や京都大学しかなく、私立では天長5年(829年)に創立された綜藝種智院という学校が有るらしいけれど、学習院大学をはじめ数校しかなかった時代だから、歴史上からみると素晴らしい大学だと思う。
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石川遼くん
今年のゴルフシーズンも終わりが近づいてきている。この時期になると”賞金王”の話が賑わうが、石川遼くんが2位につけているのは素晴らしい。一般的に大学を卒業してサラリーマンになると定年までの給料の総額は約2億円と云われているが、遼くんは18歳なのに2年間で2億円以上を稼ぐことになる。サラリーマンは”人生いろいろ”の中で30年以上かかってやっと2億円を稼ぐのと比べると雲泥の差である。しかも彼はコマーシャルに引っ張りだこのようだからその収入は倍以上ではないのだろうか。彼の親父さんも素晴らしいと思う。
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新型インフルエンザ
大学も夏休みには実家へ帰る学生も多かったので、インフルエンザも落ち着いたかに感じられたけれど、情報があまり入らなくなっているだけで、特に体育会の合宿では数人がまとまって合宿所から強制的に帰された部員も多かったようだ。そういえばTVでも「新学期が始まったらインフルエンザの学生が増えた」という報道があった。今回の新型インフルエンザは集団生活の中で発生が多いようだけれど、マスク、うがい、手洗いなど基本的な予防策が功を奏している。大学でも要所に手洗い用消毒液を設置し、”手洗いの励行”ポスターが貼ってあるが、見ていると手洗いなどを実行している学生は半数にも満たない。何事も自分や身近で遭遇しなければ”やらない”のは世の常なのかもしれない。
藤野たちとのゴルフ(2)
プレイ当日、4人のメンバーは高校時代の”同窓会”的雰囲気だったから朝ゴルフ場のレストランでコーヒーを飲みながらスタートタイムぎりぎりまで昔話に花が咲きゴルフは二の次になってしまった。志水は「定年後殆どゴルフはしていない」と云っていたけれど、彼のプレイは迫力には欠けているが、スコアをまとめるのには長けていて午前中は負けてしまった。午後になると、志水は「腰が痛い」と云ってプレイを止めてしまったので最後の勝負は出来なかったけれど、彼は”ギャラリー”として3人のプレイについて廻り、我々のボールを捜したり、スウィングのアドバイスなどもして楽しい一日だった。
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藤野たちとのゴルフ(1)
GISTについては”デコ助医者”から「治験薬は効果なし」と決め付けられ、私自身は”あまり効果が無いのではないか”と思っているS薬の服用を勧められているし、KG病院の長井医師も「S薬を続けましょう」と云っているので、他に選択肢がないから仕方なく副作用が多いS薬の服用を始めたのだけれど、これからずっとこのS薬の副作用に悩まされながら生活するのかと思うと、滅入ってしまう。そこで副作用がひどくならない内にゴルフでもして気分を紛らわそうと考え、例によって藤野へゴルフ場予約依頼のメールをした。私が彼に予約を頼むとメンバーは高校時代の体操部の3人と大学時代の芳野の4名が決まっていて、彼らとは全く気がおけないし会話もあうのでベストメンバーであると思っているけれど、藤野から「今回は体操部の志水に声をかけよう」というメールが返ってきた。志水は高校時代のマネージャーで大手商社で官庁関係へ機材を納入するトップに登りつめた奴だから、”接待ゴルフ”漬けだっただろうから、”機械体操は出来なかったけれどゴルフは上手い”のではないだろうか、彼とは高校を卒業して初めてのプレイになるのだから楽しみにしていた。
10月31日のTVを見て
10月31日ゴルフ中継を見ていて、コマーシャルの時間になった時に何の気なしにチャンネルをNHKに変えてみたら、私が通院していたNG病院でがんの治療を続け、昨年亡くなった”ニュートリノ”の権威だった人の番組をやっていたが、彼の主治医だったS医師の患者に対する対応を見て”この医師が患者の気持ちを汲んだ正しい医師”だと感じるとともに、私を診ていた土肥医師は同じ病院の同じ地位である”医長”でありながら”こんなに違う”のかと又腹が立った来た。
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KG病院でのCTの結果(2)
腫瘍の変化をまとめると表のようになるけれど、今年の3月から7月までの間3回のCTスキャンをしているが、私が土肥医師に聞いても「問題ありません」という答えだけで、7月に「貴方の腫瘍は”PD=悪化”です」と云われた。それまでは「問題ない」と云っていたのに「PDだから今日から治験薬の服用を止めてください。貴方は治験患者ではありません。」と云われた時の何とも云えないショックが思い出されて、それまでのいい加減な経過説明しかしていなかった土肥医師に腹が立つ。
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